羽衣の記憶


天高く馬肥ゆ秋。

空、雲、風、美味しいものと…愉しい季節ですね。

9月もあっという間に終わりへと。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

私は沖縄にフィールドワークへ戻り、あれやこれやと過ごしています。

「華のゆんたくさんぽ」

第9回目のコラムは「羽衣の記憶」をお届けします。

扇の柄は観世水

先日、7年ぶりにお能を銕仙会の能楽師・清水寛二先生から習う機会があり、集中稽古から発表会まで挑戦しました。

能の世界の中で描かれる、春夏秋冬移りゆく季節。

侘び寂び、私たちの心に密接に繋がる豊かな自然観をこの経験でも学ぶことができました。

立ち方ひとつも型があります。

今回の仕舞いは「羽衣」の中から最後の場面を。

能「羽衣」は天女が漁師に取られてしまった「羽衣」を返してもらう変わりに、交換条件として、その漁師に舞を見せて欲しいと懇願されます。

右側が羽衣

そこで天女は、漁師だけでなく、広き世の、憂う人間の為に平安を祈り舞いましょう、と典雅な舞を披露し天に返っていきます。

月から降りてきた天女は、スケールが大きく目線が高いですね、とても素敵です。

争いを芸で治める、平和的な解決をするというのは今の時代、特に響くものがあります。

謡の中には自然の描写も沢山あります。

「羽衣の軽さというと

秋の蜻蛉の羽のようなそんな軽さかな。」

「えも言われぬ芳しい薫りがあたり一面に漂うとは、あの時に嗅いだあの花のような香りかな。」

などと、自分なりに膨らませながら少しでも表現の一端となるようにイメージを持っていきます。

人間の感情は記憶と密接であるそうです。

何でもないシーンなのに涙が出てしまった。などという体験は知らず知らずに私たちの五感や記憶と結びついているのだと。

五感で様々な体験を感じていった過去の記憶を通じて演者が芸術を生み出す時、

それらは観客にも、いつかの記憶や感情の追体験として心を揺り動かすものが生まれてくるのでしょう。

この「羽衣」の謡(うたい)の中には「三保松原」という、景勝地の名前も出てきます。

約7kmの海岸に約3万本の松が生い茂り、松林の緑、打ち寄せる白波、海の青さと富士山が織りなす風景は歌川広重の浮世絵や数々の絵画・和歌に表現されてきた場所です。

昔からの景勝地は日本中、そして世界中に沢山ありますが、その場に立つと、昔のひとは一体どのようにこの景色を見ていたのだろうなどと想いを馳せる事も楽しいですね。

先日の台風15号で被災してしまったこの美しい景観が、どうか美しい姿に戻れますように。

また、清水区周辺の被災された方々の安全をお祈りしながら。

変化していくのが常のこの地球ではありますが、皆さんの身近にある自然、その地域にしかない希少な自然も大切に守っていけば、遠い未来にはそんな風に未来人が感じる場所になり得るかもしれません。

また、自然の猛威には、私たちは決して勝てませんが、その自然がもたらす大きな視点こそが、私たちに大切なことを忘れないでね、と自然との共生を促し、教えてくれているかのようにも思います。

とはいえ、気候変動の影響など、現実は待ったなし。

されど、私たちは生きていかねば。

すべての物が繋がっていること。

自然やひとなどすべてに慈しみの心、愛する心を決して忘れたくないですね。

とりとめもありませんが、芸術の秋。

いつもと視点を変えて、そこに潜む感覚や自然を新たな自分の感覚で見いだしてみてはいかがでしょうか?

その感性がまた、未来の自分と繋がる日がやってくるかもしれませんね。

それでは、また来月!